竜馬は、議論しない
「半平太、まあ、長い眼で見ろや」
「なにを見るんじゃ」
「わしを、よ」
竜馬は、議論しない。
議論などは、よほど重大なときでないかぎり、
してはならぬ、と自分にいいきかせている。
もし議論に勝ったとせよ。
相手の名誉をうばうだけのことである。
通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は
変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、
負けた恨みだけである。
司馬遼太郎:竜馬がゆく(三)
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たとえ議論に負けても、
全人格まで否定されるものではありません。
大切なことは、議論の場において、
負ける強さを持つことなのでしょう。
たとえ議論に負けても、
自分の生き方は信じ抜く。
所詮、人は人。
自分は自分、なのです。
自分の生き方に絶対の自信がある人は、
議論に負けた恨みを持つ、という行為と無縁です。