竜馬は、議論しない

「半平太、まあ、長い眼で見ろや」
「なにを見るんじゃ」
「わしを、よ」

竜馬は、議論しない。
議論などは、よほど重大なときでないかぎり、
してはならぬ、と自分にいいきかせている。

もし議論に勝ったとせよ。
相手の名誉をうばうだけのことである。

通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は
変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、
負けた恨みだけである。

司馬遼太郎:竜馬がゆく(三)

 

☆★☆

たとえ議論に負けても、
全人格まで否定されるものではありません。

大切なことは、議論の場において、
負ける強さを持つことなのでしょう。

たとえ議論に負けても、
自分の生き方は信じ抜く。

所詮、人は人。
自分は自分、なのです。

自分の生き方に絶対の自信がある人は、
議論に負けた恨みを持つ、という行為と無縁です。

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