自分探しの末路
本屋に行くと、自己啓発というコーナーがあります。
昔、自分探しという言葉が流行っていました。今でもあるのでしょうか。
「自分探しの旅に出ます」
という言葉を残して突然会社を辞める。
あるいは家出する。旅に出る。
海外を歩く。
インドへ行く。
宗教に走る。
自己啓発本にハマる。
万人に対して全く同じ対応をする、あるいは出来る人はいないでしょう。
時と場合によって、
母親であり、父親であり、社長であり、部下であり、オトコであり、オンナである。先生であり、生徒であり、素人であり、プロである。
自分探しの行き着く先は、灯台下暗し。
つまり、目の前の他人が自分自身であるわけです。
自分は他人の中にある。
時と場合によって自分自身をシフトチェンジしていくわけですが、自分自身の切り替えがうまくいかなくなった時、精神を病むのではないでしょうか。
あの人は誰に対しても優しい。あの人は誰に対しても同じような態度で接してくれる。
嘘です。
他人に対して同じような態度を取り続けることができる、あるいは許されるのは幼児だけです。
時と場合によって、きちんと自分自身の立ち位置を確認し、しかるべきキャラで対応する。できないのであれは、できるように工夫する。
呼称も重要です。
僕、私、俺、わたくし、自分、おら、おいら。
自分をどのように呼ぶのか。時と場合で使い分けるのか。それとも常に同じなのか。他人は自分のことをどのように呼んでいるのか。
あなた、おまえ、○○さん、名前、苗字、あだ名、○○先生。
自分はあの人にどのように呼ばれたいのか。
自分は、あの人をどのように呼びたいのか。
名前、苗字、○○さん、○○ちゃん、あんた。
子供は自分のことをどのように呼んでいるのか。
自分は親のことをどのように呼んでいるのか。
お父さん、オヤジ、パパ、お母さん、ママ、お袋。
他人は、ほかでもない自分自身を映す鏡です。